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『学習の友』創刊70周年によせて

 みんなでつくり、ひろげる雑誌へ

労働者教育協会会長・現代史家 山田敬男
​※『学習の友』2023年10月号より(一部修正)

1 『学習の友』は大きな曲り角を迎えている ・『友』再生の努力とその困難性  今年(2023年)の10月で、『学習の友』は創刊70年を迎えます。70年の歴史を振り返ると、労働運動の発展に大きく貢献し、多くの活動家の育成に寄与してきました。『友』の魅力を、神奈川湘南学習会議の読者会に参加しているAさんは次のようにのべています。 「『学習の友』は、苦しみの原因を明らかにし人間としての権利、あたりまえの自分の要求を自覚するうえで大切なツールである」と述べています(神奈川学習協の『友』活用レポートNo.3)  この意味でも、『友』は学習教育運動のなかで重要な役割をはたしてきました。  ところが、いま、その『友』が大きな曲がり角に立たされています。1970年代半ばから始まった減誌傾向が深刻になっているからです。  この間、『学習の友』の拡大推進委員会を設置し(2014年)、学習組織や労働組合とともに事態を前進的に打開するため、「活用・拡大交流会」とあわせた、『学習の友』秋の拡大月間などさまざまな努力をおこなってきましたが、減誌傾向をくいとめることができていません。こうした困難性の背景には学習教育運動の面で言えば、『友』を使った学習会や学習サークル活動の後退、学習運動の活動家集団の弱体化などが指摘できます。さらに、読者の高齢化などとともに、SNSやWEBの充実による活字離れという諸条件が重なり合っています。 ・『友』活用の運動とファンクラブの発足  そんななか、2022年2月には『学習の友』ファンクラブが発足しました。毎月のオンライン読者会を成功させるなど活発な活動をはじめています。こうした努力をふまえ、労働者教育協会(労教協)は、「みんなで話し合い、みんなでつくり、みんなでひろげる」『友』活動を提起しています。参加型の『友』活動を推進し、『友』を活用する読者会や学習サークルを再び全国で活性化させたいものです。  それでは、『友』活動再生の課題を70年の歴史のなかで考えてみましょう。

2 創刊と学習教育運動への発展 ・創刊と学習運動の成立  1952年10月、労働者教育協会が東京で創立され、翌1953年10月に、機関誌として『学習の友』(11月号)が創刊されます。「勤労者の学習雑誌」をスローガンに発行され、初年度売上3000部からスタートしました。創刊の辞ともいえる「真理と大衆」のなかで哲学者の柳田謙十郎氏(初代会長)は、『友』の性格を「勤労者大衆自身の切実な生活要求の上に立った学習誌」と位置づけています。  創立期の労教協は、講師の派遣、教材の提供などのサービス提供が主な活動でしたが、1950年代後半から現実のたたかいと結びつき、大衆的で自主的な学習運動に大きく脱皮し、転換していきます。この画期が、第3回総会(60年1月)でした。1950年代後半からの勤評闘争、警職法闘争、そして1960年の「安保・三池闘争」と結合して『学習の友』を使った読者会や学習サークルが活発化していきます。職場や地域で、無数の読者会や学習サークルが組織され、ここから学習運動の多くの活動家が生まれます。第3回総会では、『学習の友』は「学習運動の組織者である」と位置づけられました。 ・飛躍的拡大、資本主義的「合理化」の告発への共感  『友』は、1960年に4万部台、1963年に6万部台、1965年に10万部台になります。1968年にはすべての都道府県に学習組織が結成されました。  この要因は、『友』の読者会や学習サークルから、学習運動に参加する多くの活動家が生まれたことと、『友』の中身が多くの労働者に共感をもって受け入れられたことにあります。  当時は、高度成長の時代であり、資本主義的な合理化がおこなわれ、職場はたいへんな状況でした。『友』は、労働者が置かれている状態、どのような怒りや悲しみを抱えているかをとりあげ、「合理化」問題の本質を明らかにしました。  たとえば、1967年9月号には、「なかまはなぜ職場をやめるか?」という特集が組まれ、「節ちゃんの手紙」という記事が掲載されています。「節ちゃん」はサークル活動で目覚めたけれども、その後、会社側の執拗な攻撃によって、展望を失い、退職せざるを得なかったのですが、その彼女の手紙を紹介したものです。この手紙をめぐって誌上討論がおこなわれ、最後に理論的にまとめるかたちで、堀江正規さんや辻岡靖仁さんが「ZD運動その背景と狙い」「合理化とはなにか」を解説しています。  このように、労働者の〝喜怒哀楽〟と科学的社会主義の基礎理論学習を結びつけて特集を組んでいますが、これが多くの労働者の心をひきつけ、共感をよぶ要因になりました。 ・70年安保・沖縄問題で大きな貢献  労教協は、70年安保・沖縄返還闘争で「安保条約をなくし、沖縄をとりもどす全国100万人総学習運動」と、はじめての総学習運動を提起します。  この運動には、50~80万人が参加し、大学習集会、講演会、安保学校、安保講座、労働学校など多様な運動がくりひろげられ、そのなかで『友』や「安保学習シリーズ」が大量に活用されます。『友』は、70年安保・沖縄問題で大きな役割をはたしたのです。 ・性格が明確にー「73年改革」  1973年の第16回総会で、「73年改革」と言われる改革がおこなわれます。これにより、労教協の運動の目的がはっきり位置づけられます。  私たちの運動は、学習と教育を結びつけて、科学的社会主義の立場にたって行う学習教育運動であり、「労働者と人民大衆の階級的自覚の形成と発展」に寄与することを目的とするという性格が明確になりました(会則第3条)。  この改革によって、『友』も科学的社会主義にもとづく学習誌としての性格が明確になります。